リトアニア№5-日本のシントラー杉原千畝さん

たくさんのユダヤ人を救った日本人・
杉原千畝さんの事をご存知の方が
多いのではないでしょうか?


画像


                    執務室

                    当時の執務室を再現しています。
                    この机でたくさんのビザを発給したのですね。


画像


                    旧日本領事館の門

                    門柱には(希望の門・命のヴィザ)
                    と書かれています。


画像



画像


                    杉原記念館入り口&ビデオスクリーン

                    記念館の中に入り、彼の生涯をまとめたビデオを30分見ました。

                    ユダヤ人を救った杉原千畝さんのお話をビデオから・・・
                    1940年7月、カウナスの日本領事館前に突然の人垣が出来た。
                    彼らはナチスに追われ、ポーランドからリトアニアに逃れてきたユダヤ人だった。
                    その要求は日本の通過ビザ。

                    すでに、ヨーロッパにはユダヤ人が安住できる場所はなく
                    シベリアを経由して米大陸に逃れるのが唯一生き残る可能性を秘めた
                    道だったのです。

                    杉原さんはビザの発給の許可を求める電報を何度も日本に打つたが
                    返って来る答えはノー
                    ドイツと同盟を結んでいる日本としては、当然だったのでしょうね。

                    本国の指示に背いて、独断でビザを発行する事に決めたのです。
               
                    発行されたビザの数は3,000に及んだそうです。
                    これによって実際に日本を経由して、第三国に渡る事の出来た
                    ユダヤ人は6,000人を越えると伝えられています。

                    映画とかドラマではなく、本人がその当時の映像で出ているのですから
                    感動し涙なしでは見ることが出来ませんでした。


          画像
画像


            桜の木                     命のビザ

       庭には日本の桜の木が                入り口に入ってすぐの所にありました。
       植えられていました。                  その当時の物を拡大して貼り付けています。  
         
                   
                     現在のリトアニアの首都ヴィリニュスには彼の名を
                       冠した通りが生まれ、彼を記念して桜の植樹も行われています。

                     その公園にも行ってきました。
                       その公園には、杉原千畝さんの銅像も建っていました。
                       日本人として、すごく誇りに思いました。 


           

この記事へのトラックバック

  • 名言に学ぶ-杉原千畝-

    Excerpt: 「大したことをしたわけではない 当然のことをしただけです」“ひと”として”ビジネスマン“として“当然のこと”がさらっとできる人間になりたいですね。―――――――――――――――――――――――――――.. Weblog: 中年サラリーマンお父さんもりもりのビジネス講座 racked: 2010-02-19 22:43